若い頃の自分は、スキンケアにかなり抵抗があった。
というか、はっきり言って「そんなもん必要ないだろ」と本気で思ってた。男が肌を気にするなんて女々しい、とまでは言わないまでも、少なくとも自分のやることじゃない、って感覚だったと思う。
風呂では石鹸を泡立てて、ナイロンタオルでゴシゴシ洗う。上がったらタオルで拭いて終わり。保湿?化粧水?それ何?という世界。肌の調子なんて、良いか悪いかすら意識したことがなかったし、「何もしないのが普通」だと疑いもしなかった。
正直、若い頃はそれで何も困らなかった。
多少ヒゲ剃りでヒリヒリしても、冬に少し粉を吹いても、「まあこんなもんだろ」で済んでいたし、周りも似たようなものだったと思う。だからなおさら、スキンケアに目を向ける理由がなかった。
でも、年齢を重ねるにつれて、身体のほうが勝手に変わってきた。
乾燥、かゆみ、粉吹き、ちょっとした刺激でのヒリつき。前は無視できていた違和感が、無視できなくなってくる。気合や根性でどうにかなる話じゃなくなってきて、「あれ?」と思う場面が確実に増えた。
この話は、美意識が目覚めたとか、急に意識高い系になったとか、そういう話じゃない。
ただ、自分の体の変化を無視できなくなって、考えざるを得なくなった、というだけの話だ。
スキンケアに抵抗があった50代男が、なぜ考えを変えたのか。
これは、まさに自分の話だ。
若い頃の自分は、スキンケアを完全になめていた
正直に言うと、若い頃の自分はスキンケアという存在そのものを、かなり下に見ていたと思う。「肌?別に困ってないし」「男がそんなの気にする必要ある?」くらいの感覚で、深く考えたことすらなかった。今思えば、考えていないというより、最初から選択肢に入れていなかった、のほうが正確かもしれない。
当時の風呂上がりのルーティンなんて、今思い返すと笑ってしまうくらいシンプルだ。石鹸を泡立てて、ナイロンタオルで思いっきりゴシゴシ。泡?摩擦?そんな言葉は知らない。上がったらタオルでバサッと拭いて終了。顔も体も同じ扱いで、「洗ったんだからキレイだろ?」くらいの勢いだった。保湿という概念は、完全に女性用ジャンルに分類されていて、自分の世界とは別の棚に置かれていた。
周りもだいたい同じだったと思う。少なくとも「化粧水使ってる?」なんて会話が男同士で出る時代じゃなかったし、そんなこと言おうものなら「意識高いな」「どうした?」とツッコミが入る空気だった。自分もその空気にどっぷり浸かっていたから、疑問を持つことすらなかったし、「何もしない俺=普通、自然体」という謎の自信もあった。
しかも、若い頃はそれで本当に問題がなかった。多少ヒゲ剃りでヒリヒリしても、「まあこんなもんだろ」で済んでいたし、冬に粉を吹いても、服で隠れるし誰も気にしない。かゆくなっても掻けばいい、赤くなってもそのうち引く。今思えば体が若さで全部カバーしてくれていただけなんだけど、当時はそれに気づくはずもない。
さらに言えば、スキンケアに対する抵抗の正体は、「女っぽい」とか「恥ずかしい」というより、「めんどくさそう」「よくわからない」「やり方を間違えたら逆に悪そう」という漠然とした拒否感だった気もする。知らないものを避けて、知らないまま「自分には関係ない」と決めつける、あの感じ。思い当たる人、たぶん多いと思う。
今の感覚で振り返ると、かなり雑で無頓着だったなと思うけど、そのときの自分なりには真面目だった。肌のことを考えないことが男らしさで、何もしないことが正解だと、なぜか信じ込んでいた。まさかその考え方が、後々じわじわ自分を追い詰めることになるなんて、当時は夢にも思っていなかった。
年齢と一緒に、体のほうが勝手に変わってきた
そんなふうに何も気にせず過ごしてきた自分だけど、年齢を重ねるにつれて、少しずつ違和感が出てきた。ある日いきなり劇的に変わった、というより、「あれ?なんか最近おかしくない?」という小さな引っかかりが、静かに積み重なっていく感じですね。
最初は、ただの乾燥だと思っていた。冬だから仕方ない、空気が乾いてるからだよね?って自分に言い聞かせていたし、昔も多少は粉を吹いていた気がする。でも、前と明らかに違うのは、その頻度としつこさだった。粉が吹く日が増え、かゆみが残り、掻いたあともなかなか引かない。しかも場所は顔だけじゃなく、腕や脇腹、太ももあたりにも出てくる。正直、「あれ?」ってなるよね。
さらにやっかいだったのが、ヒゲ剃り後のダメージだった。若い頃は多少ヒリヒリしても一晩寝ればリセットされていたのに、いつの間にか赤みや痛みが翌日まで残るようになった。今日は調子悪いな、で済ませていたものが、気づけば「今日も調子悪いな」に変わっている。これ、地味だけど結構くるんですよね。
一番きつかったのは、見た目よりも感覚のほうだった。かゆい、つっぱる、触ると違和感がある。たったそれだけのことなのに、地味に集中力を奪われるし、気分も落ちる。仕事中や外出先で無意識に掻いてしまって、「あ、いま掻いちゃったな…」って後から気づく瞬間、ちょっとした敗北感すらある。こういうの、経験ある人多いと思うんだよね。
それでも最初は、「まあ歳だから仕方ないよな」で片付けていた。老化現象、あるある、みたいなノリで流していたし、正直そこまで深刻に考えたくもなかった。でも、こういう小さな不調って、無視しても消えないんですよね。むしろ、何もしないほど存在感を増してくる。ここでようやく、「これ、放っておいていい話じゃないかも」と思い始めた。
この時点でも、まだスキンケアをちゃんとやろう、とは思っていなかった。ただ、「今までと同じやり方ではダメかもしれない」という違和感が、はっきり意識に上がってきた感じですね。体のほうが先にサインを出していて、自分はそれに後から追いついていった、そんな順番だったと思う。
抵抗があったのは、スキンケアそのものじゃなかった
今振り返ってみると、自分がスキンケアに抵抗を感じていた理由って、「肌をケアする行為そのもの」じゃなかった気がするんですよね。なんというか、もっと曖昧で、正体のはっきりしないものに引っかかっていただけ、という感じですね。
若い頃の感覚だと、スキンケアってやたら工程が多そうで、何をどうすればいいのか全然わからなかった。洗顔して、化粧水して、乳液して、美容液?それ順番どうなってんの?全部必要なの?って、もうこの時点で思考停止ですよね。よくわからないものに手を出して、変なことになったら嫌だな、という気持ちも正直あった。
それに加えて、「めんどくさそう」というイメージも強かった。毎日ちゃんと続けないと意味がないとか、サボったら逆効果とか、勝手にハードルを上げていた気がする。こっちは歯磨きだって時々忘れるのに、そんな丁寧なこと続くわけないだろ、って思ってたんですよね。今考えると、どれも想像でしかなかったんだけど。
あと、これはあまり口に出さなかったけど、「女の人がやるもの」という固定観念も、やっぱりどこかにあったと思う。別に否定する気はないけど、自分がやるのは違う、みたいな線引きを無意識にしていた。男がスキンケアしてるって聞くと、なんとなく意識高そうで、自分とは別世界の人、みたいに感じていたんだよね。
でも一番大きかったのは、「何をすればいいかわからない」という不安だった気がする。正解が見えないまま始めるのって、地味に怖いですよね。間違ったことをして、今より悪くなったらどうしよう、って。だから結局、「何もしない」という選択を正当化していた。現状維持が一番安全、みたいな顔をして。
そう考えると、自分が拒否していたのはスキンケアじゃなくて、「未知」と「変化」だったのかもしれないですね。知らない世界に足を踏み入れるのが面倒で、ちょっと怖くて、だから理由をつけて避けていただけ。肌のことを考えないのが男らしさ、なんて言い訳をしながら。
この時点では、まだ「よし、スキンケアやろう」と腹をくくったわけじゃない。ただ、今まで抱いていた抵抗が、だんだん薄皮一枚ずつ剥がれてきて、「もしかして、思ってたほど大げさな話じゃないのかも?」と感じ始めた。そんな、ほんの小さな変化だったと思います。
変わったきっかけは、美意識が芽生えたからじゃない
ここまで書いておいてあれだけど、自分がスキンケアに向き合うようになった理由は、別に「身だしなみに気を使おう」とか「若く見られたい」とか、そういう前向きでキラキラした話じゃないんですよね。むしろ逆で、「このままだとしんどいな」と思わされた、かなり現実的な理由だったと思います。
一番大きかったのは、単純に不快だった、ということですね。かゆい、つっぱる、ヒリヒリする。朝ヒゲを剃っただけで、顔が一日中落ち着かない。冬場なんて、何もしていないのに夕方には粉を吹いている。見た目も気になるけど、それ以上に「ずっと気になる」「集中できない」という状態が続くのが地味につらかった。これ、経験すると分かるんだけど、結構ストレスなんだよね。
それでも最初は、まだ我慢していた。「歳だから仕方ないよね」「50代なんてこんなもんでしょ」と、自分で自分を納得させようとしていた。でも、よく考えると不思議な話で、体のどこかが不調なのに、何もしないことを当たり前にしていたんですよね。腰が痛ければ姿勢を変えるし、目が疲れたら休ませるのに、肌だけは放置。今思うと、だいぶ雑な扱いをしていたなと思います。
決定打になったのは、「不快なのが日常になってきた」と感じた瞬間だった。たまに起きる不調なら我慢できるけど、それが毎日のように続くと、「これ、我慢する意味ある?」って思うようになる。別に誰かに褒められたいわけじゃないし、見た目をどうこう言われたいわけでもない。ただ、普通に快適に過ごしたい。それだけなんですよね。
ここでようやく、自分の中でスキンケアの位置づけが変わった。美容とか意識高い行動じゃなくて、単なるメンテナンス。車やバイクの調子が悪ければ手を入れるのと同じで、放置して悪化させるより、最低限手当てしたほうが楽なんじゃないか、って考えるようになったんですね。
とはいえ、この時点でもまだ「ちゃんとやろう!」と気合を入れたわけじゃない。むしろ、「とりあえず何もしないよりはマシなこと、ないかな?」という、かなり低いところからのスタートだったと思う。完璧じゃなくていい、毎日じゃなくてもいい、ちょっと楽になるならそれでいい。そんなぐらいの気持ちですね。
この考え方に切り替わったことで、ようやくスキンケアが「自分ごと」になった。やらなきゃいけないものじゃなくて、やったほうが自分が楽になるもの。その認識の変化が、一番大きかったのかもしれないです。
やってみたら、拍子抜けするほど大したことなかった
正直に言うと、スキンケアを実際にやり始める前は、もっと大げさなものだと思っていたんですよね。毎日何種類も塗って、順番を間違えたらアウトで、時間もかかって、気を抜いたら逆効果。そんなイメージを勝手に抱いていた。でも、いざやってみたら、「あれ?こんなもん?」と拍子抜けしたのをよく覚えている。
最初にやったことなんて、本当に大したことじゃない。洗いすぎないように気をつけて、風呂上がりに何かひとつ塗ってみる。それだけ。化粧水だかクリームだかも正直よく分かってなかったけど、「とりあえず乾燥しなくなればいいや」くらいのノリだった。完璧な正解を探すより、今よりマシになるかどうか、それだけを基準にした感じですね。
面白いのは、やってみるとすぐに「あ、違うかも」と感じる瞬間が来ることだった。粉を吹く頻度が減ったり、ヒゲ剃り後のヒリヒリが少し楽になったり、かゆみが前ほど気にならなくなったり。劇的な変化じゃないんだけど、「昨日より今日のほうがマシ」という感覚があると、それだけで続ける理由になるんだよね。
それに、毎日きっちりやらなくても、別に何も起きなかった。忙しい日はサボるし、忘れる日もある。でも、ゼロに戻るわけじゃない。若い頃みたいに完全放置するのと、「思い出したときにちょっと手を入れる」のとでは、体感が全然違う。ここで、「あ、続けなきゃ意味ない」って思い込みも、だいぶ崩れた気がする。
あと地味に大きかったのは、精神的なハードルが下がったことですね。「スキンケア=特別な行為」じゃなくなった。歯を磨くとか、ストレッチするとか、そのくらいの位置づけに近づいた感じ。別に気合もいらないし、誰かに見せるものでもない。ただ自分が楽になるためにやる、それだけ。
今振り返ると、あれだけ抵抗していたのは何だったんだろう、って少し笑ってしまう。たぶん、やる前に勝手に想像して、勝手に難しくしていただけなんですよね。実際は、ちゃんとしなくていいし、上手くやろうとしなくていい。ちょっと雑なくらいが、50代にはちょうどいいのかもしれないです。
今、自分がやっているのはこの程度
ここまで読むと、「で、結局どんなスキンケアしてるの?」って思われそうだけど、先に言っておくと、今の自分がやっていることは本当に大したことじゃない。雑誌に載るようなルーティンとも無縁だし、人に講釈垂れるほどの知識もない。ただ、昔の自分と比べたら「ゼロじゃなくなった」それだけですね。
基本は、洗いすぎないことと、乾かしっぱなしにしないこと。この2つくらいしか意識していない。風呂でも昔みたいにゴシゴシやらなくなったし、出たあとも「何も塗らない」という選択肢はなくなった。何かしらを、気が向いたときに塗る。それだけ。名前が化粧水だろうがクリームだろうが、正直そこは二の次です。
もちろん、毎日欠かさずやってるかと言われたら、そんなことはない。忘れる日もあるし、面倒な日はある。眠いときなんて、「今日はいいや」って普通に思う。でも、それで自己嫌悪に陥ることもないし、ダメだとも思っていない。このへんが、若い頃に想像していたスキンケアと一番違うところかもしれないですね。
面白いのは、この「いい加減さ」でも、体はちゃんと反応してくれることだった。完全放置よりは明らかに楽だし、かゆみも減るし、ヒゲ剃り後の不快感もマシになる。完璧じゃなくても、やらないよりは確実に違う。これに気づいた瞬間、「あ、これでいいんだな」って腑に落ちた。
たぶん、多くの50代男がスキンケアに踏み出せない理由って、「ちゃんとやらなきゃいけない」と思い込んでいるからだと思う。でも実際は、ちゃんとしなくていい。むしろ、ちゃんとやろうとすると続かない。自分の場合は、「思い出したらやる」「しんどくなったら戻す」くらいの距離感が、一番ちょうどよかったですね。
今では、スキンケアは意識高い行動でも何でもなくて、単なる生活の調整みたいなものになっている。腰が重い日は無理しないし、調子が悪いときは少し手を入れる。そのくらいの付き合い方で十分だった。昔の自分が聞いたら鼻で笑いそうだけど、今の自分にはこれが現実的な落としどころだと思ってる。
若い頃の自分に、ひとつだけ言ってやりたいこと
もし今の自分が、若い頃の自分に何かひとつだけ声をかけられるとしたら、たぶん「スキンケアやれよ」とは言わないと思うんですよね。そんなこと言ったら、間違いなく「うるせぇな」って聞き流されるのが目に浮かぶし、当時の自分にはまったく刺さらないですね。
言うとしたら、「無視し続けると、あとで地味に困るぞ」それくらいがちょうどいい。若い頃は多少雑に扱っても体が全部フォローしてくれるし、多少ヒリヒリしても寝れば戻る。でも、それが永遠に続くと思わないほうがいい、ってことだけは伝えたい。体はある日突然壊れるわけじゃなくて、少しずつ帳尻を合わせにくるんだよね。
当時の自分は、「男が肌のこと気にするなんて」とか、「そんな時間あったら別のことするわ」とか、いろいろ理由をつけて避けていた。でも今思うと、それって強さでも何でもなくて、ただの無関心だったんだなと感じる。気にしないことが男らしさ、みたいな顔をしてたけど、実際は面倒なことから目を背けていただけですね。
あともうひとつ言うなら、スキンケアって別に人生を変えるような大事件じゃない、ってこと。もっと重たいものだと勝手に思い込んでいたけど、実際は靴擦れしたら絆創膏を貼るのと同じくらいの話だった。やらなくても生きてはいけるけど、やったほうが楽になる。その程度のことなんですよね。
もし若い頃にその感覚だけでも知っていたら、50代になってからの「なんでこんなにかゆいんだ」「なんでこんなにヒリヒリするんだ」という戸惑いは、もう少し小さかったかもしれない。完璧にやれとは思わない。ただ、放置する以外の選択肢があるってことを、頭の片隅に置いておいてほしかったな、と思う。
結局のところ、スキンケアは意識の高さの話でも、流行りに乗る話でもない。自分の体と、どう折り合いをつけて生きていくか、というだけの話だった。若い頃の自分にはきっとピンとこないだろうけど、今の自分はそう思ってる。たぶん、それで十分なんだと思うんですよね。
まとめ:スキンケアに抵抗があった50代男の結論
ここまで書いてきたけど、自分は今でもスキンケアに詳しいわけじゃないし、誰かに勧められるほど立派なことをしているわけでもない。昔と比べて何が変わったかと言えば、ただ「何もしない」を選ばなくなった、それだけだと思う。
若い頃は、スキンケアなんて必要ないと思っていたし、実際それで困らなかった。でも、年齢を重ねると体は確実に変わってくる。乾燥する、かゆくなる、ヒリヒリする。そのサインを無視し続けるのは、強さでも男らしさでもなかった。ただ、あとから自分がしんどくなるだけだったんですよね。
スキンケアって聞くと、いまだに構えてしまう人も多いと思う。意識高そう、めんどくさそう、続かなさそう。自分も全部そう思っていた。でも実際は、ちゃんとやらなくていいし、毎日じゃなくていい。思い出したときに、今より少し楽になることをやれば、それで十分だった。
大事なのは、肌をきれいに見せることじゃなくて、不快な時間を減らすこと。誰かにどう見られるかより、自分がどう感じているか。ここに気づけたことで、スキンケアは「やらなきゃいけないもの」から「やったほうが楽なもの」に変わった。
もし今も、スキンケアに抵抗を感じているなら、無理に考えを変える必要はないと思う。ただ、「何もしない以外の選択肢もある」ということだけ、頭の片隅に置いておいてほしい。若い頃の自分に向けて言うなら、それくらいがちょうどいい。
50代になって、ようやくそんな結論に落ち着いた。
遅いかもしれないけど、気づけただけでも悪くない、そう思っている。






